■ 史跡など まちの風景 あれこれ その7 参考資料
 「新版八尾の史跡」 昭和62年八尾郷土文化研究会編
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41. 大聖勝軍寺万燈会(まんとうえ)(八尾市太子堂)
毎年8月15日から16日にかけて、盂蘭盆会に際して行なわれる行事。伝えるところによると、その昔、聖徳太子が守屋との戦いによる戦死者の霊を慰められたとの故事により、室町時代に絵や歌を描きとめた絵灯篭を境内一面にかかげたことにはじまるといわれる。昭和45年太子堂本堂の再建を期に復活したもので、夏の世の風物詩となっている。
42. 物部守屋墳(八尾市太子堂)
奈良街道、すなわち国道25号線に面した八尾市内で一番交通量の多い道路脇に立っている。この地は物部守屋大連を葬ったところで、河内鑑名所記や河内名所図絵には、小さな塚上の丘の上に一本松のある姿がえがかれている。明治初期、堺県知事小河一敏が、立派な墓碑を建立、表に「物部守屋大連墳」と刻し、周囲に玉垣を作った。
43. 西村市郎右衛門頌徳碑(八尾市弓削町)
宝永元年(1704)の大和川付け替えで、旧大和川流域の村は洪水がなくなったかわりに、灌漑用の水源がなくなることになった。ある年、大干ばつのため農民が困苦に陥る事態が起こった。これをみて、弓削村庄屋西村市郎右衛門は、上記樋を幕府に無断で開き、農民を救ったと伝えられる。庄屋は捕らえられ大坂城中で客死、一家は断絶した。大和川付替え後、弓削村、田井中村など旧了意川ぞいの21カ村は青地・井手口の樋から水を取り入れた。
44. 二俣分水点(八尾市二俣)
この地は旧大和川が、玉串川、長瀬川に分水する場所。宝永元年の大和川付替え工事が終わった後、東弓削や弓削の樋地人によって開墾され二俣新田が誕生した。
45. 八尾空港(八尾市太田新町から見る)
昭和8年、阪神飛行学校として大正村に設置され、昭和14年、大正飛行場と改称された。昭和15年から陸軍専用飛行場となり、周辺の農地を強制収用して拡大された。昭和30年、政府は2本の滑走路を主体に飛行場を整備し、第2種空港八尾空港として開港した。セスナ機の発着は日本一。
46. 稲城址(八尾市南木の本)
南木の本の光蓮寺門前に碑がある。高さ145センチの自然石に「稲城址」と刻してあり、昭和14年建立のもの。聖徳太子が物部守屋をその居館のあった阿刀に攻めよせた時、守屋は兵を集めてこの地に稲城を構えてたてこもり、抗戦したといわれる。稲城は稲で囲った城とか、稲積の城とか伝えられる。物部守屋の阿都桑市の館が太子堂辺りから木本にわたる地域であったことを物語るものである。
47. 大和川付け替え顕彰碑(柏原市安堂)
この碑は、大和川付け替え250年を記念して建立されたもの。付け替え工事は元禄十七年(1704)2月27日に着工し、竣工は同じ年の宝永元年(1704)10月13日で、なんとこの大工事が7ヶ月半で完成している。付け替え促進派の中 甚兵衛の長年にわたる必死の努力、付け替え予定地に当たる村々の激しい反対運動、幕府の川違い決定には約50年余の歳月が流れた。
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