■ 史跡など まちの風景 あれこれ その6 参考資料
 「新版八尾の史跡」 昭和62年八尾郷土文化研究会編
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34. 玉祖神社鳥居(八尾市水越)
東高野街道から神立玉祖神社への参道で、街道に面して石の大鳥居が立っている。これから東へおよそ500メートルの間、以前は大きな松並木の道になっていて、高安松の馬場と呼ばれていた。しかし今はその面影はない。神立の東方山腹にある玉祖神社(たまおや神社)は、高安11カ村の氏神で、古くからこの辺り一帯には玉造部の人々が住んでいたので、その祖神を祭ったものであろうといわれている。
35. 恩智川(八尾市高安町北)
恩智川は大きな源流を持たない川。生駒山地から出る谷川の水が流れ込み水量は非常に少ない。そんな川を、住民の力で少しでも良くしようと、恩智川クリ−ンキャンペーンが行なわれている。ホタルやメダカとともに暮らせる水辺を夢見て、毎年5月、端午の節句には鯉のぼりの吹流しが行なわれる。
36. 綿の種の開花
5月初旬に蒔いた種が成長。7月初旬から中旬にかけて、綿の木が50センチくらいになったら、早めに芯留めをする。これは、背の高くなるのを押さえ、養分を綿の実へまわすため。この作業の後、7月中旬から下旬にかけて黄色の花が咲きはじめる。しかしこの花は、一日ほどでしぼんでしまう。
37. 綿が吹く
花はすぐ萎んで、その後約一ヶ月くらい、綿を吹く準備がはじまる。花が咲いて約一ヶ月後、大きく膨らんだ朔がはじけて綿が吹く。吹き始めるのは8月中旬から下旬、9月上旬から中旬が最盛期となる。
38. 「河内扇」(大阪府公文書館所蔵)
中 甚兵衛が、大和川付替え時使った扇との伝承がある。しかし扇は、後年に著名の人物が描いたか、もしくは誰かに描かせたものと見るのが妥当と、第十代目当主 中 九兵衛氏は語る。
39. 由義宮址碑(八尾市八尾木北)
この地は弓削道鏡が、称徳天皇の信任をえて、その郷里に設けられた行宮で、のち由義宮となした。神護景雲三年(769)天皇再行幸のとき、ここを西宮とよびその宮域は、大県、若江、高安の三郡にわたる広大なものであり、河内国には河内職が置かれた。
40. 大聖勝軍寺(八尾市太子堂)
椋樹山大聖勝軍寺と称し、竹内街道にある叡福寺の「上の太子」に対して、「下の太子」という。聖徳太子が、渋川の阿刀の館にいた物部守屋を滅ぼすにあたって、信貴山の毘沙門天に祈願し、四天王を祀り、戦勝をうることができたので、ここに一寺を建てて勝軍寺と称したという。本堂の太子殿には、太子植髪像を安置する。四天王を像は、聖徳太子が戦勝を祈って、自ら彫られたものという。四大臣像ともいい、秦河勝、迹見赤檮、小野妹子、蘇我馬子に充てる。境内には、守屋と戦った史跡が残っている。
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